ハイチ共和国

ハイチ共和国

ハイチ共和国とは

ハイチ共和国(以下、ハイチ)は、未だ西半球で最も貧しい国と位置付けられ、国民の約八割は、一日約1.9ドル以下の生活を送り劣悪な貧困状態化、国際社会から「忘れられた国」といわれている。また1.9ドル未満で生活する極度の貧困層は53.9%にもなる。(World Bank data,2012)

1804年にフランスより独立したラテンアメリカ初、かつアメリカ大陸で二番目、世界初の黒人による共和制国家である。独立以来現在まで混乱が続いており、大規模災害と復興の遅れが混乱に拍車をかけている。

2010年1月12日に起きたM7.0の大規模なハイチ地震では、首都ポルトープランスが破壊的な被害を受け、死者31万6千人程に及ぶ近年空前の大惨事となった。この後にも、コレラが発生し、さらなる災厄に見舞われることとなった。

ハイチでの結核症の現状

2010年のハイチ大地震から時間が経過した現在、国際世論からは徐々に忘れさられているが、ハイチ地震で結核病棟及び周囲の医療施設が倒壊し、効果的に結核患者へのアプローチができない現状にあった。

レオガン国立シグノ結核療養所の医師・シスター須藤明子氏が簡易テントに連日訪問してくる結核重症患者へ支援を行っていた。
2013年8月には諸事情からシスター須藤医師は37年に渡るハイチでの活動を終え、現地での活動から引退された(2013年11月よりFuture Code顧問に就任、ハイチへの支援活動は継続されている)。
その後、日本政府の支援により新しい結核診療病棟が建設されたが、従来の社会基盤の弱さや貧困から、結核の診療や検診は効果的に進められておらず、未だに結核の蔓延国となっている。(10万人あたり296名の罹患率:WHO, 2014)

ハイチ共和国での活動

ハイチ住民結核無料検診

レオガン国立シ​グノ結核療養所の支援の一環として「ハイチ呼吸器疾患における人材育成プログラム」を提案し、ハイチ国内から若き医師、ジャッセン医師とパスカル医師を日本に招待しました。兵庫医科大学の協力のもと、昨年6月から呼吸器疾患、感染症対策の知識と技術トレーニングを実施しました。ハイチの将来を担う次世代の能力強化を行うことで、持続可能な発展を目指しています。今後も、ハイチ国内の結核症の予防・治療に貢献できる人材作りに取り組んでいきたいと考えています。

その後、2012年12月、日本の自衛隊(PKO)の撤退に伴い、日本政府からシグノ病院にレントゲン装置が寄贈されました。レントゲン撮影を従来の喀痰検査に組み合わせ、より早期に診断し、治療に結びつけることや、治療の経過を的確に判定することなどは結核の蔓延を防ぐ意味で非常に重要です。

2013年6月から私たちは、日本政府から寄贈されたレントゲン装置を使い、官民一体となったプロジェクトとして、多く結核患者がいる地域に、結核検診を導入し、毎年、定期的な開催を行っています。結核に苦しむ患者を一人でも減らすべく努力を続けます。

ハイチ孤児院に対する支援と検診

2010年のハイチ大地震後には、31万人もの方が犠牲になり、多くの方が住む場所を失いました。そのような大人でさえ生きていくことが困難な状況において、我が子を見捨ててしまうことを余儀なくされ、孤児が急激に増加してしまいました。ハイチ国内では、いまだ孤児院は増加しつづけていますが、どの孤児院も資金的な問題や、孤児を受け入れる環境がないなど、多くの問題が山積みになったままです。

特に、首都部から離れた山間部では、国際支援団体などからの資金や食料などが滞り、とても悲惨な環境の中、孤児院で生活する孤児が溢れています。そこで、我々は孤児の健康増進、栄養改善を考えたプログラムに取り組んでおります。

現地医療機関に対する支援

ハイチの現在の医療システムでは、従来の社会基盤の脆弱性から、病院も患者の薬剤費用を負担する余裕はありません。自ら、もしくは家族が、貧困などの理由から薬剤を購入できない患者は命に関わる緊急時であっても治療を受ける事ができません。それに加え、緊急時に使用できる薬剤が病院に不足している状況は、患者を治療できない医療者にとっても大きなストレスとなっています。
緊急時に使用できる薬剤を支援し、常備しておくことは、現地病院の医療の実施に直結します。

ハイチの西部の都市ジェレミー近郊では、2016年にはハリケーン被災、さらに2021年には震災があり、多くの医療施設が倒壊しました。Future Codeはこの倒壊したいくつかの医療施設の再建を行っており、また医療機器、資材購入も継続的に支援しています。